今回この特集を組むにあたり、新たに10カ所ゆかりの地を巡りました。
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新たに巡った10カ所。
一之橋
史実では赤穂浪士は両国橋を渡らずに、まずこの一之橋渡って泉岳寺に向かったと伝えられています。


アクセス
東京都墨田区両国1丁目1−11
地図
旧両国橋
昔の両国橋はこちらにかかっていました。(ここから川は見えませんが)
そして討入り後、赤穂義士が休息をした場所と伝えられています。
また創作の中では、赤穂浪士は両国橋を渡って、泉岳寺に向かったとなっています。
しかし実際は、こちらのルートは武家屋敷などが多く、登城する大名や旗本の行列を避け、一之橋渡り泉岳寺に向かったと伝えられています。




アクセス
東京都墨田区両国1‐11‐11付近
地図
両国橋のたもとの碑
討入り当日、赤穂義士のひとり、大高源五の知人が、句を詠むと、目的を遂げた大高源五がその場で返句したといわれています。
(討ち入り前夜に宝井其角と「年の瀬や 川の流れと 人の身は」「明日待たるる その宝船」と読んだ譜が有名ですが、もしかしたらこちらの譜が元になっているのかも)


アクセス
東京都墨田区両国1丁目11−2付近(公衆トイレの住所)
地図
本所松坂町の碑
直接的には関係がないのですが、回向院、吉良邸などがあった旧町名の本所松坂町の石碑です。


アクセス
東京都墨田区両国3丁目18−7付近
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前原伊助宅跡
赤穂四十七士の1人、前原伊助が米屋になって商売をしていた場所です。吉良邸の裏門の近くにありました。


アクセス
東京都墨田区両国3丁目2−4
地図
回向院の正門跡
回向院の正門は、以前この位置にありました。東京大空襲で焼失しましたが、
戦後再建され現在の京葉道路沿いの位置に移りました。


アクセス
東京都墨田区両国2丁目8−10
地図
吉良邸正門跡
以前は、広大な敷地を持っていた吉良邸ですが、事件の後縮小されて現在は他の建物が立っています。


アクセス
東京都墨田区両国3丁目6−8
地図
吉良邸裏門跡
以前は、広大な敷地を持っていた吉良邸ですが、事件の後縮小されて現在は他の建物が立っています。


アクセス
東京都墨田区両国3丁目10−1
地図
赤穂浪士休息地
この石碑は、旧永代橋の近くにあるお味噌で有名な、ちくま味噌の敷地にある石碑です。
乳熊屋の主人の作兵衛が大高源吾と俳諧の友であったことから,浪士一行に甘酒粥を振る舞ったと伝えられています。




アクセス
東京都江東区佐賀1丁目1−15付近
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浅野内匠頭の上屋敷
こちらは、播州赤穂の藩主・浅野内匠頭長矩の上屋敷(浅野家の江戸本邸)があった場所で、都指定史跡となって残っています。聖路加国際大学(病院)の近くです。




アクセス
東京都中央区明石町10−11
地図











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